大学時代の友人K(ぶさいくな彼氏を持つことで有名?)と久しぶりに飲みに行くことになった。
最初飲みに行くだけの予定だったのだが、
「時間あるなら、映画も付き合って」と持ちかけられ、午後から「さよなら、クロ」という映画を観る事に。
犬が出てくる映画なのだが、とってもとってもかわいくて賢くて、ただそれだけで泣けてしまう映画。
映画の後はちょっとうろうろして、2人してピアスを買って即つけて、1軒目は和食のカウンターの飲み屋。時間は・・・まだ5時!!
私は普段、ビールをあまり飲まないのだが、今日の生中は最高に美味しかった。3杯も飲んでしまって(Kは4杯?)、結構酔っ払った。料理も美味しかったなあ。
30女2人の話題といえば、

@Kの彼氏の話。
ネットで知り合った人って、基本的なプロフィールから全面的に信じていいのか、信じられるまでに時間がかかるから大変。でも楽しくやっているみたい。

@Kとは絶縁状態になっている共通の友達の話。
かれこれ10年も!前の話だけど、Kがある先輩(彼女あり)とセフレ関係になっていたことを、彼女にばらされた、そのくせ自分はダンナがいつつ他の男と遊んでる、みたいな事で、もう友情が感じられないらしい。ま、しょうがないか。。。私としては元通りになってもらいたいけど、無理っぽい。

@もうすぐある、サークルのOB会のこと
私は行くつもりだけど、Kは行く気あまりなさそう。みんなそうだけど、自分より上の人に会いたいけど下の子ばっかりなら行きたくないって。私たちのサークルは、皆先輩大好きだからね。今回のOB会の企画をしたのが2年下の後輩たちなので、どうしても年齢層が低目になる様子・・・。
私も、自分より上が多いように願っているのだけど。
2軒目の店のカクテルが薄く、酔いが冷めたので1杯で出て、3軒目のキャッシュオンデリバリーのバーへ。

そこでの話題は

@うちの夫婦関係
冷め冷めぶりを露呈してしまい、未婚のKの夢を摘んでしまったか??でもコレも多くの夫婦が通る道のような気がするんだけど・・・

とか割とディープなことをしゃべっているときに、Kの知り合いの黒人男性登場。あんまり英語分からないのにさ。でもKと彼の話していることは大体分かった。ていうか、あんまり難しい事言ってなかったけど。

10時半くらいにはお開きになって、家に着いたの11時ごろだった。それでも結構飲んでたなあ。ドアを開けると、とっくに寝ている時間の子どもが、
「おかえりなさ〜〜〜〜い」
とニコニコで走ってきた。おいおい、明日も保育園なのにいつまで起きてるんだ。と口では言いつつも嬉しかった。ダンナいわく
「お母さんとじゃないと寝えへんねんて」
なので、ジーパンだけ脱いでとりあえず添い寝して、そのまま朝までキャミ+パンツ1丁で寝てしまいましたとさ。

それにしても楽しかった!
こういうことがあると、またしばらくがんばろ、って思えるな。
昨夜は保育園のお泊り保育で、初めて子どもと私は別に寝た。子どもは前から「今度、オトマリホイクという楽しそうなイベントがある」という認識は持ってたんだけど、一昨日の夜、家で
「明日はお母さんお迎え行かへんねんで」
と言ってみたら、
「じゃあ、お父さん?」
だって。
「違うよ、お父さんも誰もお迎えに行かへんの。そのまま、保育園で晩ご飯食べて、保育園でねんねするの」

「いやや〜、お泊りせえへん〜、お泊り嫌や〜」

し、しまった。ココに来てやっぱり辞めとくとか言われたらややこしい。事前に山のような着替えやらパジャマやら、腹巻なんか新しく買って、持って行って預けてあるし。

でも当日は機嫌よく去っていきました。

子ども不在ながら、夜は天神祭りの花火見物に出かけた。同じマンションの友人ファミリーと。子連れじゃないのは私だけで、さびしかった〜。女の子2人は浴衣を着てきて、うちの子と同じ年なのに、なんだかおしゃまでかわいいわvv

家の近くの空き地に行くと、ビルの隙間から花火が見える。ビニールシートとビールやおすしなんかを持って毎年行くのだが、ちょうど眺める方向に新しくビルが建つらしく、クレーンの隙間の花火になってしまった。来年はビルが立ち上がって、見えなくなるだろうな。

今年は涼しいせいか、人手がそれほど多くなくゆっくりしていた。去年はバーベキューしてる人、ピザの宅配をそこで頼んでる人などいろんなグループがいて笑えたのだが、今年はおとなしいもんだった。
風が吹くと寒いくらいで「ビールより熱燗!」とか言いつつも飲んでいたのだけど、今年はほんとにいつまでも夏にならないね。

でも、おかげで子どもの心配をあまりしないでゆっくりと広いベッドで安眠した。

そして今朝、子どもを迎えに行くと先生が「ひびきくん、おもらししまくり!!」と嘆いていた。子どもの姿はなく、「今またもらしたので、トイレに行ってます」だって。とほほ。山のような洗濯物を担いで帰ってきた。
おもらし以外は至っておりこうにしていたらしいけど、やっぱり緊張していたのかな?
先生と私が話している間、神妙な顔つきでちょっとうつむき加減だったので、これは気にしているな、と思い、家ではあまりその話には触れなかった。

夜は花火をしたり、スイカを食べたり、先生の影絵を見たりと楽しく過ごしたそう。
「また行きたい?」
と聞くと、
「行きたい」
だって。よかった。

3連休の内、家族3人ともそろうのは今日だけなので、どこか行こうと思っていたけれど、結局午前中はゴロゴロ。
遅いお昼を食べがてら、外出。近くの本屋さんによって、注文してあった建築雑誌のバックナンバーを引き取り。

南船場へ移動して、適当なお店でお茶にしたら、またもやあそこの系列。なんていう会社か忘れたけど、ガーブとかをやっている・・・
南船場・堀江はとにかくあの会社に牛耳られているのね!
デザート3つと飲み物2つ頼んで、3人で分けっこして食べたけど、2800円くらいかかったよ。美味しかったけど・・・

しばらく周辺をうろうろ。適当に目に付いたお店を冷やかしつつも、何も買わず。

そこから徒歩で堀江に移動。私の誕生日に腕時計を買ってもらう約束をしていたのに、1ヶ月以上経過・・・堀江のどっかのお店にかわいい時計があったと思って記憶を頼りにしていったら、時計はあったけど、思うようなのじゃなかった。今、腕時計1個しかないんだよね〜。1個あればいいんだけど、電池切れたとき困るじゃん??

子どもがぐずりだしたので、堀江公園に連れて行って遊ばせる。砂場には同じくらいの子どもたちがいっぱい。うちの子は寄っていくけど、ことごとく無視されていた。
なんで??
お母さんたちも全く無視。もしかして都会だから、公園デビューは厳しいのかな?うちの近所の公園なら、知らない子がいても子ども同士遊びだしたら、ちょっとくらい交流するのにさ。ま、一見さんだからいいけど。

子どもは砂場で靴を脱いじゃって、泥んこの足で走り回ってしまった。電車で帰るのに、どーすんだよ。

暗くなってきたので、駅に向かって歩いてたら、うどん屋さんがあった。讃岐うどんじゃないけどだしが大阪味で、セルフ店で安そう。お店も新しいし。
ってわけで、そこで夕食を済ませることに。トイレで子どもの足も洗えるし。
ダンナが先にうどんをとりに行っている間、熱いお絞りをウォーマーから取ってきて子どもの手を拭いてやり、帰ってきたダンナと交代で注文にいった。
席に戻るとテーブルに泥んこのおしぼり4枚ほど・・・

わたし「もしかしてこれで足拭いたん?!」

ダンナ「もう、指まできっちりと。」

ちょっと、汚いよね〜。こういうのがダンナの信じられないところ。いくらまた消毒して使うとはいえ、足の土までそれで拭くとは。ゴメンよお店の人。

夕食はおかげさまで格安で済ませ、店を出るとき子どもが出口の段差ですっころんで、おでこから流血というアクシデントはあったものの大事には至らず、平凡な休日が終わっていきましたとさ。



友人3人と一緒にO社の照明器具の展示会に行く。

もちろん照明の新作も見たいのだが、そこで開かれる3つのセミナーが最大の目当て。11:00、13:20、15:00から、違うテーマで1時間ずつの講演。その合間に照明器具も見て、昼ごはんも食べなくっちゃ、という忙しい1日。

今のリフォームブームのきっかけになった、「ビフォーアフター」の“匠”としても有名なコーディネーターさん、江口恵美子さんのお話も間近に聞けた。
リフォームはきれいにするのも大切だけど、依頼者家族にどれだけ気持ちを寄り添わせられるかが大切なんだな、と実感。TVはちょっと誇張しすぎだけどね。
そしてオリジナリティー。江口さんはポリカーボネートに絵柄を転写し、それを建具や間仕切りに使うというオリジナルのアイデアを、いろんな形でいろんな物件に応用していた。

江口さんはTVで見てもかわいいが、実物もとっても若くてかわいらしい。いくつと思う?と皆でうわさ。討論の結果は「30代。行ってて40まで」。でも資料を見ると実年齢は46歳!
天は二物を与える場合もあるんだよね・・・。

来月は同じメンバーで羽曳野の保育園を見学する予定。ここは自然素材を目いっぱい利用して建てられており、子ども達がのびのび遊べ、自然の感触を身体で感じて育つことができるようにと配慮された園。

今はなかなか本業で「お金を稼ぐ」ってことが難しいけど、こうやって仲間と勉強できるのはありがたいことだと思ってます。
そのためにもバイトはクビにならないようにしなくっちゃなー。

今日の日記

2003年7月12日
今日は京都〜大阪インテリアめぐりの旅であった。友人ヤマモトが結婚し建売住宅を購入したので、家具やカーテンの相談に乗ってほしいと連絡をくれたのだ。
新居の場所は京都の伏見区。鍵の引渡しを受けたばかりのホヤホヤの新居。1階がダイニングキッチン9.3帖と6帖の洋室、トイレ・バス。2階に和室1室と洋間が2つ。

私が主に見るのは1階部分で、6帖の洋間をリビングとして使いたいが、広さがないので床座のリビングにするとして、ちょっと和の雰囲気を出したいとのこと。
それからダイニングに、ダイニングセット以外に小さい1人がけのイスと小さいテーブルを置いて、“1人カフェ”にしたい。
窓周りはリビングに和風のカーテンか、それに替わるブラインドのようなもの。キッチンの勝手口にもロールスクリーンをつけたい。

そういう希望を事前に聞いていたので、一昨日、知り合いのカーテンやさんに行って取り付けなどの相談をし、家具屋さんを廻って条件に合うものがありそうなお店の目星を付けて置いた。

最寄り駅まで迎えに来てくれたダンナさんは、ほんとに人の良さそうな、優しそうな背の高い人で、ヤマモトより2つくらい年下らしい。ヤマモトも私より2つ年下なので、きゃあ、若いわ〜。
だけど最近結婚する友達って、年下のダンナさまが結構多い。いいわねえ。

新居を見せてもらって、家具の配置の目安を、床に弱粘着テープを貼って大体決める。ついでに?2階も拝見。1階はちょっと手狭だけど、2階には吹き抜けもあってトップライトが付いていたりして、結構開放的だ。いいなーいいなー。

ここまででお昼になったので、大阪に向かいがてら途中でお昼ご飯。ご馳走してもらってしまった。

ちなみに今日の報酬は日当で頂いてます・・・
もちろんお友達価格ですけどね。

午後は堀江で家具屋さんをいっぱい廻って、ダイニングセットは決定。リビングの和風家具(TVボード)がなかなかいいのが見つからなくて苦戦。
知ってるアンティークの和家具のお店に電話して聞いてみたけど、思うようなのは出てない様子。
これは持ち越しだな。
でも最後に寄ったプールアニックで、“1人カフェ”用のチェア発見。気に入ってもらえて良かった。彼女達が買ったチェアは5万円だったけど(それでもクッションはちゃんとコイルが入っているし、フレームは無垢だし結構いいもの)、その隣にはハンス・J・ウェグナー作の20万の1人がけチェアがあった。はー、いつかは日当たりの良い縁側みたいなところで、こういう椅子に座ってオットマンに足を乗せつつコーヒーを飲みたいわ。

最後の一頑張りでカーテン屋さんへ。結局リビングにはプリーツスクリーンという、ちょっと和調で調光もできるスクリーンを付けることにした。家具が決まってないので、色はあまり主張のないものにしておく。キッチンのロールスクリーンも決定。
他の部屋のカーテンは通販とか東急ハンズなんかで安くつけることになったけど、元々カーテンレールが付いていないので、そのカーテン屋さんに頼んでレールだけつけてもらうことにした。
普通のアルミのレールじゃなくって、木のレールで装飾が最低限のもの。シンプルでおしゃれ。

取り付けは職人さんの都合などあって27日の予定。私も立会いに行きます。楽しみだな。

今日は免許の更新に、ダンナと一緒に行った。何を隠そう私たち夫婦は、誕生日が4日違いなのだ。それでもって免許を取ったのが3年違いで、昔は更新は3年おきだったので、毎回更新は同時って訳。

午前中はダンナがどうしても抜けられない会議が入ったとの事で、それが終わってとりあえず会社の近くで待ち合わせてランチ。新しくできたイタリアンのお店で、初めて行ったんだけどサービスの感じが良くて気に入った。

それにしても2人でこんな店でランチするなんて、何年ぶりだろうね(涙)。

即日交付してもらうためには2時半までに門真に行かなくてはならず、デザートは断念して駅へ。

更新手続き自体はとってもスムーズだった。1、2、3・・・と番号の付いた窓口で、順に書類を書いたり検査を受けたりするだけ。なのにどうもダンナがもたついてる・・・
書類に記入して持ってかないといけないのに、白紙で列に並んでたり、違うとこにいっちゃってたり。

視力検査のところでも、なんだか時間かかってる。

実は彼は今日、コンタクトやさんでもらった乱視用のサンプルレンズを入れてるのだ。朝、入れながら「めっちゃよー見える!」と自慢げに言っていた。
「こんな日に慣れないレンズ入れるなんて大丈夫なん?私やったら今日は止めとくけど?」と一応言ってたんだけど。

視力検査はギリギリで通ったみたい。でも「実は見えない方向があってん、朝から」ということらしい。だからやめときって言ってんのに。ま、通ったからいいけどね。

2人ともゴールド免許なので、講習は30分。楽勝よ。


早く終わったので、帰りにお茶して帰った。ランチのとき断念したケーキを堪能。ま、取りとめもない話しかしてないけど、楽しかった。

夜、ダンナもポツリと「今日は楽しかったなー、またどっか行きたいなあ。」と言っていた。

まあ、いつになるかわからないけど、また行こう。普段向き合って話すことが少なすぎるもんね。

試験

2003年6月29日
今日は福祉住環境コーディネーター3級の試験日。会場は最寄り駅から徒歩15分の某私立大学。全く知らないところなので、早めに家を出た。

なのに迷っちゃって。

結局、試験開始5分前に、自分の席についた。早めに行って勉強しようと思ってたのにぃ〜。

でも今日はもう一つ、大事な用が午後からあるのだ。だから気分は「早く帰らなくちゃ」とそぞろな感じ。

3日前、高校時代の友人から電話があった。ただの友人じゃない。親友だ。
「今、大阪やね〜ん」だと。
親友なのにここ2年くらい、音信不通だった。なのに、急に「今、大阪やねーん」て言われてもな(苦笑)。

彼女は高校卒業以来、まったく大阪には住みつかず、転々としてる。静岡の大学に進学し、卒業後、青年海外協力隊員として2年間アフリカに行った。その間はずっとカードのやり取り。帰ってきたと思えばアフリカで知り合った、同じ隊員だった彼氏を追って沖縄に行ってしまい、そのまま沖縄で結婚した。その時は沖縄まで式に行った。
その後ダンナさんの転勤で東京へ。そこで彼女も仕事を得、子どもも産まれてワーキングマザーに。そこから連絡が途絶えがちになった。
だって赤ちゃんを抱えてるしフルタイムで働いてるから、何時に電話したらいいの?ファックスもないし、メールもやらないっていう。留守電にもなってない。唯一のやり取りだった年賀状が、一昨年くらいから来なくなった。

こりゃーまたどっかへ行ったな・・・

というのが、共通の友人たちとの憶測だったんだけど。
案の定、「実は1年ほど前からベトナムに」て、おいおい、行く前に知らせなさい。

大阪滞在は、今日までという。なら、今日会うしかない。しかも他に集まる友人もみんな子連れだから、場所は中間地点の私の家に決定。

昨日は試験勉強もそこそこに、掃除に精を出す私。全く何やってんだか。

結局私とその子と、あと2人、友人がやって来た。4人の内、3人は1人ずつ子どもを連れてきていて、あとの1人は独身。

ベトナムの暮らしは、外国人専用マンションに住みお手伝いさんもいて、家事は一切不要。だけど日本人社会は狭いし、子どもたちも皆同じ幼稚園に行ったりしているため、どうしてもお付き合いが濃厚になって息苦しいらしい。

そりゃそうだ。

昔から待ち合わせの時間に来たこともないような子なのに、アフリカ・沖縄とおおらかなところの生活が長くて超マイペースな子なのに、いきなりのマダム生活だもん。想像したらちょっと笑えた。

も1人来ていた友人Mの話も強烈。
実家のお母さんが、Kinki kids の「堂本剛」にはまっていて、困るという。実家にいる妹も、kinkiのファンで、2人で盛り上がっているらしいんだけど。
別に、一緒にコンサート行ったり、TV見てキャーキャー行ってるくらいなら、若々しいお母さんですむのだが、どうやら違う。

たまに実家に帰って、子ども(お母さんにとっては初めてで唯一の孫)のビデオを写しても全く無関心で、パソコンに向かってインターネットでKinkiの情報収集。
先日実家に泊まったら、朝Mが寝ている部屋に来て、第一声がいきなり
「剛君のな〜、今度のドラマの主題歌、滝沢やねんて!むかつくわ!!」だったとか。
(何がムカつくんか全く分かりませんが、Kinki以外のジャニーズのアイドルのことはライバルとして毛嫌いしているらしい)
電話でもずーっと「剛が剛が」ばかりで、しまいにMが「剛つよしって、もうどうでもいいやん!いい加減にしぃ!!」というと、マジで怒られるらしい。
Mのダンナさんも一緒に実家に行ったとき、お母さんのあまりの剛熱に、「いい加減にしてください、お母さん!」と叫んだくらいだとか。
ファン仲間である妹も、うっとうしくなって部屋に引き込むことがあるくらい、付いていけない熱狂振りなんだって。
だって60歳くらいでしょ・・・
ちょっとおかしいよね?

お父さんも引いちゃって、何も言えない状態なんだって。

ま、高校時代からいろんな話を聞いてきてて、浮世離れした人だな、ていう印象はあった。長女であるMに対する執着心もすごくて、Mが高校生になってもフリフリの服を買ってきては嫌がられて、泣いたりしてたみたいだし。

やっと子離れしたと思ったらそっちに行ったか・・・

お父さんの立場は?

まあとにかく試験も終わったし、久しぶりに親友たちにも会えたし、ホッとするやらなんだか忙しい日曜日だった。
ようやく外が明るくなって、何となく不安感が薄れたのか、気分が良くなった。
昨夜の看護婦さんは交代で、新しい看護婦さんが「痛み止め、注射じゃ効かへんみたいやから、座薬にしてあげるね」と座薬を入れてくれた。
そしたら効き目が強くなったのか、とりあえず標本級の痛さはなくなった。

朝一で、もう一つのベッドに出産を控えた妊婦さんが来た。お母さん、ダンナさん、上のお子さん(1歳くらい)が一緒だ。
連れてきた看護婦さんが、「聞こえない人たちだから、よろしくね」と私に耳打ちする。
お子さん以外は聾唖者の人たちだった。
トドのように横たわるだけの私を見て、会釈してくださる。とっても感じのいい家族だった。

妊婦さん以外の家族の人は、部屋の外に出て行き、妊婦さんには朝ごはんが運ばれてきた。
私は昨日の朝から何も飲み食いしてないけれど、今日はカルピスが飲める。
でも何故?のどはカラカラなのに、全く飲む気がしないのよ(涙)。
お隣のプレママは、(食べますネ)という仕草をこちらにして、食べ始めた。

食事が終わったら着替え。自分の服をナイロンの袋に入れてベッドの下へ。

当たり前のことだけれど、彼女は自分の発する音も聞こえていないから、食べる音や一つ一つの行動をする時の音が大きい。相部屋だから静かに、っていう何となくの気遣いがない。

あ〜〜〜ごめんなさい、差別するんじゃないんです。ただ、「なるほど、そうなんだな」と初めてその時知ったので。

いい人だったから、余計にそう思ったのかも。
それに私もお腹痛かったから、敏感になっていたのかも。

彼女はすぐに分娩室に行った。行くときも、ちゃんと挨拶をして行ってくれた。きっと安産だな。さすが2人目の出産は、落ち着いてる。

お昼ごはん。カルピス。半分くらい飲めたかな?

午後からは、空きベッドに中絶手術の女の子が来た。
助産婦さんが手術の説明をしている間、落ち着いて聞いていた。そして出て行った。

手術から帰ってきた彼女は眠っているみたいだったけど、しばらくすると猛烈に暴れだした。痛みのせいなのか、精神的なショックのためなのか分からないけど、枕を叩きながら泣きわめいていた。
みていてかわいそうになってきた。だって誰も付き添っていないし。自分のナースコールを押して、看護婦さんを呼んだ。
「彼女だいじょうぶですか?」というと、看護婦さんは「仕方ないんですよ」と冷たかった。
どういう事情か知らないけど、とにかく静かにさせてくれ。こっちはまだお腹が痛い(苦笑)。

安定剤か何か打ってもらったのか、静かになった。私もヤレヤレだ。

1時間くらいして目覚めた彼女は、まず携帯でメールを打っていた。おいおい、いきなり平常心なのね(笑)。

「さっきは暴れちゃってすいませんでした」
落ち着いた彼女が話しかけてきた。
「これから出産なんですか?」
「いいえ、昨日産んだんです」
「そうですか〜、大変でしたね」

そうだった、昨日産んだんだった。まだ一度も赤ちゃんを見てないような気がする。

中絶の彼女も、しばらくして退院したみたい。私は眠っていて気づかなかった。

夕方、ダンナが来た。その時助産婦さんが赤ちゃんを連れてきた。
「びっくりしないでね」と言い、胸に抱いた赤ちゃんの顔をぱっとこちらに向けると、鼻からチューブが通っていた。
「実は、ミルクを全く飲んでくれなくて、栄養失調になりそうなんです。今のところこのチューブで栄養を入れて、様子を見てます。場合によっては新生児医療の専門病院へ移すかも」

まだ、抱かせてもらえなかった。

私が前日に比べてだいぶ元気なのを見て、だんなも少し安心したようだった。しばらくすると母も来て、新生児室の赤ちゃんを眺めていた。

隣のベッドには、今度は早産気味の妊婦さんが入った。3人目の出産で、2人の子どもとダンナさんが付き添ってきたが、すぐに帰っていった。早産ママは、お腹の張り止めの薬を点滴しながら横になっていた。地元の人らしく、私の母と「ここの先生は2代目で・・・」「そうなんですか〜」などと談笑していた。

それにしてもここは落ち着かない。私だって産後で気分が不安定なのに、全くゆっくりできないのはつらい。赤ちゃんのことも心配だ。ミルクはまだ飲まないのだろうか?

晩ご飯はまたもやカルピス。今度は全部飲み干したぜ。

早産ママは点滴も効果なく、夜になるに連れてお腹の張りは強くなっているみたいだ。点滴の速度を速めたり、薬を変えたりと、常に看護婦さん・助産婦さんがバタバタ出入りしている。
夜なのでカーテンを閉めてはいるが音は筒抜けで、どんな状況なのか手に取るようにわかる。

だんだん早産ママのうめき声が聞こえてきた。どう聞いても陣痛だよね、これってどうなるの〜〜〜?
とハラハラしていると、ついに先生が呼ばれた。内診している気配の後、「これは出産が始まるわ、すぐに分娩室に移して!ご主人呼んで!!私は小児救急病院をあたります!」

ひえ〜〜勘弁してよ〜という気分だった。こっちまで興奮して、眠るどころじゃない。お腹の赤ちゃんはまだ1300グラムくらいだそうだ。だけど生まれてしまうんだ。子ども2人の面倒を見ているダンナさんも、こんな夜中にこっちに駆けつけるのか。大変だよ〜〜〜。

廊下の向こうからは、先生が「●○産婦人科です、お世話になります・・・××先生お願いします・・・1300グラムの早産の新生児お願いしたいんですが。・・・そうですか、では」「もしもし、●○産婦人科ですが・・・」と病院に電話かけまくっている声が聞こえる。

しばらくすると「おぎゃー、おぎゃー」
う、生まれてる・・・。安産過ぎるのも怖いよね・・・。

続いて「ピーポーピーポー」と救急車の音がして、赤ちゃんは別の大きい病院へ移って行ったようだ。
そのすぐ後にダンナさんが駆けつけてきた。早産ママの様子を尋ねた後、赤ちゃんが運ばれた病院へと追っていった。

そうして、やっとやっと静けさが戻ってきた。
しかし気分が昂ぶって、どうにも寝付かれない。
私だって産後なのに、まだ手術の翌日なのに、なんでこんな扱いなんだ。もうちょっと誰か私のことを気遣ってくれてもいいじゃないか〜〜!!
と怒りがこみ上げてきて、怒りのあまり泣けてきた。でもまだ自分で動かせるのは両腕の(二の腕含む)と足の先くらいで、身体の中心部分は上向きのままだ。
首を横に向けて出てくる涙を拭きつつ、また朝を迎えてしまった。

朝一でまた別の新しい看護婦さんが来てカーテンを開け、私の顔を見て「かわいそうに〜目がボンボンに腫れてるわ。昨夜寝付かれへんかったんやろ〜」と言った。


はい、一睡も。


だけど今日からは重湯も食べられるし、身体も拭いてもらって、やっと人心地ついた。隣にも誰も来なかった。よかった。ホント良かった。午後には初めて赤ちゃんを抱いた。と言ってもベッドの横に寝かして腕枕しただけだけど。

その次の日にはやっと個室に移り、赤ちゃんに母乳を飲ませた。なんとミルクは全く飲まなかったが、母乳は一発で吸い付いてうまく飲んでくれた。今だにオッパイ大好きだもんね。
でもそのおかげで、小児病院送りは免れた。


***********************
多分ね。
2人目産むとしたら、また帝王切開になると思うんだけど、この病院では絶対産まないと決めてます。
手術後はどんな部屋で過ごすのか、初めから確かめて、静かに過ごせそうなところで産もうと思っとります。

ま、貴重な思い出ですけどね。
久しぶりに書く時間ができました。怠け者でホントに情けなや〜です。皆さんの日記はほぼ毎日読ませてもらってます。


今日は子ども3歳の誕生日だった。
近所のケーキ屋さんで小さめのケーキをホールで
予約し、「ひびきくんおたんじょうびおめでとう」とチョコのプレートをつけてもらった。

フルーツショップが母体のケーキ屋さんなので、フルーツがたくさん乗ったチョコケーキにした。

プレゼントは、ダンナからトミカの「日産マーチ・カラーセット」と「ホンダフィット・カラーセット」。
私からはフェリシモの金魚の柄のTシャツ。和風な雰囲気が夏の夕方によくあう。
双方のジジ・ババからは、現金で1万円ずつゲットした(笑)。コレは子ども名義の郵便貯金に入れておこう。
私の母からはそれに加えて衣類も送られてきた。
最近、エネルギー倍増になって、保育園でもよく汚しているし、お漏らしも多いので(泣)、普段着の着替えがいちばんありがたい。

ケーキに立てたロウソクを上手に吹き消すことができるようになったわが子を見て、「大きくなったなぁ〜」と実感した。

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余裕ができたからなのか、今年の誕生日は出産の日のことをゆっくり思い出した。
出産の2日前から産後3日目まで、それはそれは悲惨であった。

私の場合、予定日過ぎても何の出産の兆しもなく、歩けば子宮口が開くからと言われてかなり歩いたけれど、効果なし。結局、陣痛促進剤を飲むことになった。出産予定日から1週間が過ぎていた。これ以上待つと、子宮内の羊水がにごり、量も減ってくるので、胎児が危険になるとの事だった。

朝9時に入院し、1回目の促進剤を2錠のんで(促進剤は、胎児の心音をモニターしながら1時間おきに少しずつ飲む)、お腹にモニターをつけて分娩台で横たわっていた。
モニターからは赤ちゃんの心拍音が。胎児の心拍は大人よりもかなり早くて、150/分とかが普通。
ところがしばらくすると、その心拍数が素人にもはっきり判るほど遅くなり、98/分くらいになった。アレレと思うまもなく、モニターから
「ビーーーー」
というアラームが鳴り響いた。

それまで私のそばには誰もいなかったのだが、この音で突然いろんな人(看護婦さん、助産婦さん)がわらわらと集まってきて、私のお腹のモニターを外して私の体を横向きにしたり、先生を呼びに行ったりと大騒ぎになった。

結局、促進剤は飲めないってことになり、私は分娩室の近くにある「回復室」という部屋で、ベッドに横になりつつ、胎児の状態が落ち着き自然な陣痛が来るまで待つことになった。この「回復室」は、分娩室やナースステーションのそばにあり、ベッドが2つあって、分娩直前の妊婦さんが一時的に過ごしたりするために使う部屋。この病院は完全個室なので、常に見守りが必要な妊婦がここに入って、病院側も急な事態に備えるという感じ。
個室はいまどきの産院らしく、リラックスできる自宅のような雰囲気なのだが、この部屋はいかにも「病院」と言う感じで殺風景、ベッドの仕切りもカーテンのみ。

午後1時、事態は何の進展もなし。陣痛もなし。それまで付き添っていたダンナは家が近いのをいいことに、「一度帰る」と言ってうちに帰ってしまった。
ところがその間に、「こりゃダメだ、帝王切開しましょう」という話になった。
私も、そりゃ自然な形の出産を希望してたけど、ここまででかなり疲れており、「もう早よ出してくれ〜!」という気分でいたので、
「ではお願いします」
と手術に踏み切ることに。
ダンナは1時間くらいで戻ると言い残していたため、すぐに帰ってくるさと軽く返事したのだが、
それまで半日放置されていたのんびり状態が「手術する」の一言でいきなり一変したのだ。

いきなり「ハイ、失礼」とお毛毛を剃られ、導尿の管を入れられた(これがまた、中でチクチクして痛い)。
安定剤の点滴も始まった。
後は手術同意書にダンナのサインが必要なのだが、ここまでの準備があまりにスムーズに展開したため、ダンナ待ちの状態に。先生は焦って「まだなのっ!ご主人はっ」と怒っている(先生は年配の女性)。
結局母に携帯で呼び出してもらったのだが、母もかなり動転しており、話がしどろもどろ。結局、ベッドの上から自分で「帝王切開になった!早く来て!!アンタのサインがいるねん!」とか叫んでいた。
ダンナも訳が判らないまま、ダッシュで戻ってきた。

無事サイン終了、病院側は、やるとなったらサッサと済まそうっていう雰囲気。手術着で廊下をペタペタ歩いて手術室へ入ると、
「ハイ、じゃあそれを脱いで、この台に上がってくださーい」とさわやかに言われてしまった。

想像してもらいたくないけど、想像してほしい。
すっぽんぽんで、出産予定日過ぎてメチャデカのお腹、下はお毛毛なしのツルツル、股からは導尿の管がちょろりんと下がってる。腕には点滴がつながってる。
そんな状態で手術台に「どっこいしょ」と上がってる自分の姿は、これまで内診されまくり等で羞恥心など捨てたとはいえ、かなり恥ずかしい状態だった。大げさだけど
「人間の尊厳って何なの!?」
と叫びたいような状態だった。

手術は局部麻酔で行われた。
「すぐ終わるからね」と聞かされていたが、手術中はなんとも言えず苦しかった。痛みではないが、何ともいえない不快感が続く。両手は横に伸ばした状態で手首が拘束されているので、頭を左右に振りまくって耐えるしかなかった。
仮面ライダーのタイトルバックで流れている、ショッカーに手術されているタケシ隊員(ていうシチュエーションでしたっけ?)の姿のような状態だった。

その状態が1時間くらい続き、赤ちゃんが取り上げられた。自分では見ることができないが、元気な声で泣いていた。
看護婦さんが「ほら、お母さんよ〜」と、縛られた私の右手に赤ちゃんの手を触れさせてくれた。とっても温かかった。しかし苦しさとうれしさが交錯し、
「よ、よろしくね」と一言言うのがやっとだった。

手術後、ストレッチャーに乗せられて、またさっきまでいた「回復室」へ戻った。ダンナによると、この時私の顔色は、とんでもなく蒼白だったらしい。今でもドラマの死体シーンなどを見たとき、時々言われるくらいだから、よほど恐ろしかったのだろう。
手術での出血がひどかったみたいで、この後貧血の薬を飲み続けるはめになった。

結局、陣痛というものを体験せずに産んでしまったといえば、楽に聞こえるのかも知れないけど、帝王切開も、もんのすごく痛い。

夕方目覚めた時の痛みといったら、それまで大した怪我も病気もしたことがなかった私には、想像に絶するものであった。
個人の病室ではなく、回復室にいたので、夜には誰も付き添ってもらえない。誰かがいるからといって痛みが和らぐわけでもないので、母もダンナも夜になる前に帰ってもらった。幸い、この夜はもう一つのベッドには誰も入る様子はなかった。

母とダンナが帰ってから次の朝を迎えるまでが、めちゃくちゃ長かった。痛み止めの注射は4時間おきにしか打ってもらえないのだが、30分くらいしか効かない。その30分だけうとうとと眠れるが、あとの3時間半は痛みで眠れない。
「ほんとにお腹は閉じてあるのだろうか?」と疑問におもうほど、まるで内臓丸出しの理科室の標本にでもなったような激痛だった。
ベッドに上向きで寝たまま、動かせるのは腕の肘から先だけだし、痛みでのどがからっからだけど、水1滴も飲んではいけない。
3時間半、何もできることがなくて痛みと向き合うしかなかった。1時間たったかと時計を見ても5分しか経っていない。気を紛らすために歌を歌ったり、数を1万くらいまで数えてみたり。はたまた
「痛いッちゅーの!○○ッタレ!!」
と悪態をつきつつ、ベッドの横の壁をドカドカ叩いたりして時間をやり過ごし、4時間経った瞬間にナースコールを押して注射してもらい、また30分ウトウトする、その繰り返しだった。

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出産翌日からもかなりドタバタしたのだが、字数が過ぎちゃってるみたい。続きはまた。



てんやわんや

2003年6月16日
仕事が終わって、夕方保育園に子どもを迎えに行き、帰りにドラッグストアでボディシャンプーなどを買い、クリーニング屋さんに寄って預けていたサマーニットとスーツを引き取って、自転車は荷物だらけ。

マンションに着いたら宅配ロッカーには荷物が入っているし、ポストに夕刊と郵便物が来てる。
持ちきれないような荷物と子どもと共にヤレヤレ、と家について、保育園からの連絡帳を読み、メールチェックしつつ洗濯機を回す。

腰を痛めてる母親にも電話しないと。

夕食を作っていると、リビングで「ジュビジュビ・・・」と不穏な物音。
キッチンからのぞくと、子どもがテーブルの上の飲みかけのお茶を口に入れてはテーブルの上に吐き出して遊んでいる!
「やめなさい〜〜!」と言いながら布巾でテーブルを拭いて、またキッチンへ。
静かなのでちょっと見ると、何と今度はその布巾で口の周りを拭いてる!!!
思わず「ちょっと!!何やってんのもう〜〜!!!」と叫び布巾をひったくる。
怒られてびっくりした子どもが泣き出した。
やばい、と思うまもなくお漏らし。
あ〜あ。さっき回した洗濯が終わって干したばかりなのに、また洗濯物が出現よ。

今度は雑巾を出してきて、床を拭きつつズボンとパンツを脱がせてはきかえさせる。
ご飯作ってるときに雑巾触るのって初め抵抗あったけど、今じゃ慣れっこさ。

ところが今度は目を離した隙に、その雑巾で手を拭いていた。
もう怒る気も無し。
手を洗っておいでと洗面所に行かせると、そこらじゅう水浸しにして水遊びに熱中。

やっとやっと夕食の支度ができて、子どもをテーブルに座らせる。
私もやっと席に着いた・・・
そのとき子どもがお茶のコップを倒し、私びしょぬれ。テーブルと床もびしょぬれ。

もう、なんでなの・・・
悲しくなりつつジーパンをはきかえる。また雑巾を持ってきて、床とテーブルの脚を拭く。

ご飯を食べたら食べたで、食の細いうちの子にはイライラさせられっぱなし。
しばらくは褒めたりおだてたりして食べさせるけど、それにもいい加減疲れてくる。
おかずを手でつかんでいじりまわしたり、叱っても全く悪びれる風じゃなく、逆に
ご飯を口の上にくっつけて
「ヒゲ〜〜」と笑っているのでホントにカッとなって、また怒鳴りつけた。
そしたらまた泣きながらお漏らし。
またまたまた雑巾の出番。さっきお茶拭いたところだから、ここにあるよテーブルの下に(笑)。便利だな。って助かってる場合か?

もうはかせるズボンがないよ。とフリチンで過ごさせておく。

怒りつかれて情けなくなった頃、ダンナが帰ってきた。

朝から夕方まで、普通に働いて、帰ってからがこれだもん。
ご飯作って食べさせて、後片付けして洗濯して、お風呂沸かして子どもと入るだけでも結構疲れるのに、お漏らし2回とか止めて欲しい。


疲れきってる私を見るに見かねたのか、ダンナが珍しく洗濯をやってくれました。
いつもなら「そんなに大変なら仕事止めたら?」
と言うけど、今日は言われなかった。

いつもは平気だけど、今日は疲れたな〜。
子どもが寝た後、夜中に試験勉強をしようと机に向かったけど、眠くて眠くてどうしようもなく、やっぱり寝てしまった。

眠いよ〜

2003年6月14日
「福祉住環境コーディネーター」の試験が今月末に迫ってきているというのに、ほとんど勉強してない。

さすがにあせってます。

でも、私っていつもの生活パターンを変える事ができないのよね。
もっとチャッチャと家事を片付けて自分の時間を作ればいいのに、汚れた皿を尻目に子どもと遊んでしまったり。

で、結局削れるのは睡眠時間・・・
おかげで毎日スリーピィです。

しかし、受験料も払ったし落ちたらもったいないので、ここから心を入れ替えて、勉学に励みます。

ちなみに今日はわたくしの誕生日。
ゾロメの歳になりました。

22歳じゃないよ。


11歳でもないわっ!!

今日の日記

2003年6月7日
不動産会社から依頼を受けたセミナーが終わった。
金・土の2日間で、1時間のセミナーを1回ずつ実施。

一般の方を対象とするもので、どんな方が来られるのか判らないので、内容はそんなに難しくなく、それでいて家に帰って(または新しく借りた部屋で)すぐに実践してもらえるような内容を心がけた。

今回は自分自身にとって新たなことに取り組もうと、パワーポイントでスライドを作って、プロジェクターに映写しながらお話しした。
やはりインテリアの実例写真など見てもらうには、大きな画面で解説できる方がわかりやすい。

直前までバタバタしたけれど、どうにか準備した。
ダンナのVAIOを借りて、黒のパンツスーツでビシッと決めていった。

なのに、聞きに来てくれたのは初日ゼロ人。

な、なんでや〜〜〜〜〜!!

仕方なく、依頼主の不動産会社の若手の人を相手に、1時間お話した。
でもこれが、結構熱心に聞いてくださり、質問もビシビシしてくれたのでいい手ごたえがあった。
終わったあとも、
「いや〜、めちゃ勉強になりました!」
とかいってもらえたりして。

気を取り直して2日目は1名、集客があった。
やった!

て。1名て。
ま、何人であろうとギャラはおなじだからいいんだけどね。
で、マンツーマンも何なので、またまた会社の人(昨日とは違う人)が一緒に聞いてくださった。

待望の、サクラではないお客さん(男性。いかつめ)はインテリアに詳しく、私が演台から
「さて、蛍光灯と電球の違いって何かわかりますか?」
と問いかけると

「ああ、光の色が違いますよね。電球は赤っぽいし、蛍光灯は白っぽい。それから蛍光灯は電気代が安くて省エネになりますよね」

などと、サラッと答えられちゃった。いやん。
「で、では、蛍光灯の発光原理はご存知じゃないですよね?」
ときくと、またまた
「両側から電子が出てきて、中でぶつかり合って光がでるんですよね?」
と、やたら詳しい。

そんなに詳しいなら聞きに来なくても、と思うが、やはり興味があるから聞きに来られるんだろう。
話のテーマとレベルをどの辺りに設定するか、というのは常に難しい問題ですな。


えれふぁん

2003年6月5日
少し前に、子ども(今月で3歳)にアンパンマンの英語ビデオを買った。
時々見ては、何かの弾みで

「あっぽー」(APPLE)とか
「きゃろっつ」

とか言うようになって、すごい!とおおはしゃぎしてたんだけど。

日常でも使うよね、何かしてもらったとき

「サンキュー」

って。

私がそう言うのを何度か聞いているうちに、彼も

「サンキュー!」

ていうようになった。そこで

「You’re welcome」

て返すと、面白がって「何それ?」て顔でこっちを見ていた。

そんなことが何度かあり。

ある日玄関の靴を、子どもが並べてくれたので、

「サンキュー」というと、彼得意げに


「えれふぁん」

だって!

ぎゃははは!!!かわいすぎ!

実家で労働奉仕。

2003年5月29日
朝、子どもを保育園に連れて行ったその足で電車に乗り、1人で実家に帰る。
祖父母の法事を2日後に控え、お客様を迎えるために実家の掃除の手伝いに借り出されたのだ。

本当は仕事があるんだけど、やっぱり家族サービスというか、親孝行もたまには必要かと。

私の実家は祖父母の家と同じ敷地に立っており、法事などは広い座敷のある祖父母の家でするのだが、普段全く使っていないので傷みや埃がひどい。また広いんだなこれが。掃除するところはいくらでもある。

たたみに掃除機をかけようと思いつつ、ふと上を見ると照明器具が埃だらけ。あわててハタキを持ってきてパタパタ。
「そのハタキおばあちゃんが使ってたやつやわ〜」と母。そのおばあちゃんの17回忌なんですけど・・・

床の間とその横の違い棚には、壷やら人形やら、飾り物がいっぱい並んでる。それも拭いていき、畳も雑巾がけ。

家を直したときに張った縁側の板は、はがれたりして結構傷んでたが、初めからある(らしい)台所の床板はすごく古いのに黒光りして堅牢で、いい味わいになっていた。やはり、しっかりした木は古くなるほどに良くなるという事を実感した。今は黒い床だけど、かんなで少し削れば、真っ白な白木の木肌が現れるに違いない。
まだまだつかえるな、この木材は。
と意味なくほくそ笑む私。

その後、応接間にあるトイレに入ってびっくり。汚れがすっかりこびりついて、水垢が固まった状態になっている。
母いわく「いくらこすっても、それ以上は取れないねん」
しかし、これはサンドペーパーでちょっと頑張ってこすっていくと、かなりきれいになりました。陶器もパイプも手洗い水栓も、ざらつきが取れてピカピカに。

「すごい、綺麗になったやん!」と母に感激されて私も嬉しかった。

子どもの頃は祖父母、父母、私と弟の6人でこの敷地に立つ2軒の家に住んでいたのが、祖父母と父が亡くなり、私と弟が結婚して家を出て、今では母1人になってしまった。
100坪くらいある土地だし、使っていない母屋はちょっと不気味でもあり、雨漏りとかもしていて1人で管理するのには大変だ。

後何年、この母の独居状態が続くのか判らないけど、とにかくいくつになっても耐えまくっている
長男の嫁の、母である。

夕方、また保育園のお迎えに間に合うように電車に乗って、帰ってきた。カバンには母が持たせてくれた、しゃぶしゃぶ用のお肉。

今夜はこれで冷しゃぶに決定!!


今日は久しぶりのOFF。この日だけは空けておいて、マッサージの予約を入れていた。
先日堂島を歩いていたら、半額のチラシを配っていたのだ〜。この機会をみすみす逃す私ではない。

私が今日受けるのは、「バリニーズマッサージ60分コース」。
インドネシアに伝わるジャムウというリラクゼーション方を取り入れ、ハーブやスパイス、フルーツをブレンドしたアロマオイルやクリームを使ったヒーリングマッサージ。

と聞くだけで、なんだか疲れが取れるようではない??

実は5年位前に友人とバリ島に行った際、このマッサージを受けたことがある。
ちょうど痛気持ちいい感じのマッサージと、本当にリラックスできる香りに包まれ、部屋をいきわたる風に吹かれながらうとうとと夢のような時間を過ごしたっけ。

その記憶をたどりつつ今回2度目のバリニーズマッサージ。60分10000円のところを、今回は5000円!これをラッキーと言わずして、何というのか。

11時からの予約の、5分前には到着。ビルのワンフロアなのだが、エレベーターが開くといきなり店の中(エレベーターのドア=店のドア)なので、ちょっと不意を付かれたけど迎えてくれたのは穏やかな雰囲気の小柄な女性(日本人)。

部屋に案内されてオイルを選び、服を脱いだら紙パンツ一丁になってベッドにゴロリ。

後はもう、このところの疲れをここでしっかり取るべく、ボーっと揉まれまくり。

ただ、やはりビルの中の個室なので、バリのような風は吹いてなかった。当たり前だけど、そこが残念だなー。ちょっと閉塞感があるんだよね。窓もないし。

やはり肩こりがひどいみたいで、肩甲骨の周りがゴリゴリと音を立てていた。マッサージ後も「すっごく肩が凝ってますよね!」と言われた。よく言われるんだけど、自分ではもう余り感じてない。

それでも帰るときには、すっかり首の周りが柔らかい感じで楽になって、また元気に明るい街へ出た。

午後はフジエテキスタイルの新作発表会に顔を出した。
ここのファブリックはすごくセンスが良くて、モデルルームに良く使われている。今まで仕事の上でここの商品に触れる機会がなかったんだけど、知り合いが今日のことを知らせてくださったので、時間を空けて行ってみることに。
輸入品が多くて高いイメージがあったけど、意外とリーズナブルだった。機会があればぜひ使ってみたいな。

久々の飲み会

2003年5月23日
アルバイト先の仲間と、飲みに行った。
出産後3年たつが、家族以外の人と外でお酒を飲むのは先日のMちゃん結婚式二次会以来2度目。純粋に「飲みに行ってきまーす」ってのは、何と初めてだから、3年以上ぶりになる。何やかんや言ってまじめだなー、私って。
その日は仕事の後、店に直行したから、保育園のお迎えもダンナにお任せ。晩ご飯は前日にメインだけ2種類作って、副菜とお味噌汁は多めに作って残りを食べてもらうことに。

アルバイト仲間といっても全員主婦、あるいは結婚暦あり。ほとんど子持ち。年齢20代から40代まで。

こういう集団が、世の中で最もうっとうしいんじゃなかろうか?
私も街で見かけるおばちゃん集団には、冷たい視線を投げかけるタイプ。
だってうるさいもんね。周りのことなどお構いなしで、邪魔なところに広がってるし。

しかし。
その日の私たちは、まさにそれでした・・・。
行ったのが、外壁にツタのからまった洋館のお店で、中もとってもおしゃれ。しっくい壁に大きな木のテーブル、その上にはキャンドルが。
そんな、カップル御用達も言える落ち着いたお店にはそぐわない集団だったのでは。
個室を取っていたんだけど、それにしてもでかい声で騒いだから、絶対外にも聞こえてるよなあ。

でも、めちゃくちゃ楽しかった。
仕事の憂さ晴らしや、子どものこと、ダンナのこと等など・・・
共感できる話ばかりだから、盛り上がりました。

でも緊張感はないね。
男性抜きだから。
やっぱりこういうところには、男女で来たほうが良いでしょう。

でも、日本の夫婦は来ないのよ。育児世代は特に。
こんなお店にいるのは、若いカップルばかり。
なんでだろう??「たまには育児を離れて息抜き」っていっても、日本ではママが友達と遊ぶ事をさすのがポピュラーで、夫婦の時間を持つことは少ないね。
確かに、「アンタと飲みに行ってもなー」的な、冷めた夫婦仲にはなりがちなんだけど。

だからおばちゃん同士が集まって、うるさく騒ぐ→周りから白い目で見られる、となるのよね。

そっか、ダンナ以外の男の人と行けばいいのか!それなら行きたいぞ。相手はいないが。

でもダンナとも行っときたいぞ。誘っても断られるけど。しゅーん。



明日も打ち合わせ

2003年5月17日
今日は保育園の親子遠足だった。
朝からお弁当を作り、バスに揺られて「ハーベストの丘」という農場公園(?)に行き、半日をすごして帰ってきた。

家に着いたのが3時過ぎ、太陽に当たって遊び、帰りのバスでも眠っていたので体はだるいが、とにかく今日こそはやらねばならぬことがある。
それは
「美容院」
忙しくてなかなか行けなかったので、もう限界を2回くらい過ぎた、ひどい髪型になっている。
私の髪はとっても多い上にくせ毛なので、マメにカットしないと膨らんできて、収拾が付かなくなるのです。

ホントはカラーもしたかったけど、時間が余りない上に今日から生理なので、かぶれても嫌だし、今回はやめた。それにちょっとカットしたら下から染めた部分が出てきて、なんか明るくなったし。

明日はまたまたA先生と打ち合わせ。日曜日なのに〜(涙)。タイルとレンガのショールームへ行く予定。医院の待合トイレや、診察室の内装にタイルやレンガ材を使って、おしゃれにしたいそうだ。タイルの割付(配置指定)なんて、私やったことないのに、知らないぞー、変な割付になっても。
それにいろんなタイルがあって、使える場所も決まっているし、ブリックレンガにブルーのボーダーを入れたいんだけど、それって変なのかな?レンガって色がブラウン系だから、診察室のイメージと合わないんだけど・・・
カタログを必死で見ても何をどうすればいいのか良くわからないので、とにかくプロに相談することにした。

あと3回の打ち合わせでケリをつける予定。しかし、予定ではバイトの方を2回やすまなくてはならない。もう、休みまくってていいづらいんですけど。

これでクビになったらどうしよう?いいバイトなのに。

日記はためないで書かなくちゃ、とは思っているのですが、このところほんとに忙しい。
理由は、去年からかかわっているA歯科医院の新築工事の打ち合わせが再開されたから。A先生は今、大阪で勤務医をされているが、小豆島のご実家を改築して、1階を歯科医院、2階を住居として独立開業されることになった。
順調に行ってれば、3月末にはすでに工事が終わっているはずだったのだが、銀行からの融資がなかなか下りず工事を進めることができなくなり、5ヶ月余り話が止まったままだった。

3月ごろにやっと銀行との話がまとまったようで、4月末から私も打ち合わせに呼ばれるようになった。
勤務されていた病院を、当初の予定通りに4月末で退職されたA先生、今とってもあせっている。そりゃそうだ、家ができるまで無職だもんね。と、いうわけで、この所、週2回のペースで打ち合わせがあるのだ・・・

これがまた、とっても疲れる。A先生は、同年代くらいの男性で独身なのだが、家に対するイメージがほとんどない。家庭を持ってないから仕方がないのだが、何を言っても「はあ」「適当におねがいします」しか言わない。それでいて、プランを作って次のときに持っていくと、「これはちょっと・・・」とかおっしゃる。
「じゃあどういう感じにしましょうか?」と色々資料を持っていっても、明確に「こんな感じ」と言ってくれないのだ。
素人であるお施主さんの潜在的要求をいかにして引き出すか、がICの仕事なのだし、ここでさじを投げてはいけないのだが、つくづくコミュニケーションの難しさを感じてしまう。

さらに、話が止まっていた間にもインターネットなどで色々な情報を集めていたA先生、打ち合わせ再開後、急にさまざまな要望をされるようになった。ガラスが二重に入った輸入のサッシや、内装の床には普通のフローリングじゃなくて無垢材(1本の木を切って削って作った材。普通のフローリングは、本当の木は表面の数ミリだけで、その下は合板とクッション材でできている)、壁もクロスじゃなくて珪藻土という自然材料を使いたい、など、難しい要望が多くなった。以前に時間をかけてどうにか決めてあった内容がほとんど変更になってしまったのだ。

手間をかけて資料を集め、また提案を持っていく。イメージを明確にしてもらえるよう、パースという立体的な完成予定図面も描かなくてはいけない。
そうこうしているうちに先生からは「次はいつ時間とってくれますか」とせっつかれる。
次って言ったって、私にも時間をくれよ!今日決めたことをまとめるのだって時間いるんだから、3日後とかは無理。と思っても、テンパっている先生は聞き入れてくれない。それどころか、私との打ち合わせがないときは、設計士さんと内装以外の打ち合わせをやっている。
まさに「それしか考えてない」から少々怖い。

先週は3回もA先生に会い、ちょっと顔も見たくない状態に入りかけている私。
でも明日も打ち合わせなの。パース2枚描いて持っていかなくちゃ。まだできてなくて、とてもあせる。

しかも今朝子どもを起こしたら、ガーン、またまた熱出してるし。先週治ったばかりなのに、また・・・。
私のほうも、この所半徹夜状態が続いていて、体調は微妙。これがこのまま続くとなると、倒れるかもしれない。

これを回避するには、とにかく早く全ての内装打ち合わせを終えること。これしかない。頑張れ、私!!
今年のGWは、大した連休にもならなかった上に、変な新型肺炎のせいか、旅行に出る人も少なかったという。

おさかな家はどうかというと、子どもが4月24日に発熱して以来、寝込むまではないものの、38度程度の熱がずっと続いており、GW前半は、ひたすら家に閉じこもっておりました。当然保育園もお休み。私とダンナが1回ずつ仕事休んで、1日はおばあちゃんにヘルプを頼んで、どうにか連休のはざ間の平日は乗り切りました。子ども自体の様子は元気で、家でブロックと積み木とミニカーとビー玉を駆使していろんな作品を作っては、「こんなんできたで」と披露してくれておりました。しかし測ると熱はある。

そして5月2日のこと。
「もーいいよ!いつまでも家にこもってても直らないし、普通に遊ぶ!!」
とキレたのは、わたくしです。はい。
一応病院でもらった薬は飲み続けながら、買い物行ったり、ご飯食べに行ったり、「トミカ博」というミニカーのイベントに行ったり、と出歩きました。

とりあえず、子どもは元気。

でも大したレジャーではなかったな。つまんない連休だった。

特に書くことといえば、近所のホルモン鍋屋でご飯食べてたら、タージン(てマニアックすぎ?大阪ローカルのおじさんタレント)が家族連れでやってきて、横の座敷で焼肉を食べてた事くらいかな。

でもいつもこの人には、家の近くで会うのよね・・・

今日、10日以上ぶりに登園した息子、朝はやっぱしちょっとぐずりました。まあ、無理もないね。
最近ニュースを騒がせている、白装束軍団。これがトップニュースでいいのかな、日本よ?って気もするけれど、見ていて何だか笑ってしまう。
「ミカエル様」とか「スカラー波」とか、「ナントカ星の襲来が」と、楽しいお話を真面目にされるのが、分別盛りのオジサマ方。あのオウムのように、世間知らずの若者が洗脳されて突っ走った、というのとはまた違う、アダルトな雰囲気。

今のところ、他人に害を及ぼすような様子でもないし、とにかく心配なのはタマちゃんみたいだし。とほほ。

もちろん、近くに来られた方は迷惑千万でしょう。いくら害がないと言われたって、あの謎のマークのステッカーがびっしり貼られたワゴン車が、何十台と停まっている訳だし、乗ってる人々は白装束だし。

ところで、彼らが移動を始めたとき、野次馬の中に「黒装束の若者集団」がいた、という小さな記事を読んで、思わず「いいぞー」と叫んでしまった。

「馬鹿馬鹿しい悪のり」って思う人も当然いると思う。
けれど、もともと馬鹿馬鹿しい「白装束軍団」を、そして彼らの笑っちゃうような主張を真面目な顔で解説し、必要以上に騒ぎ立てるマスコミを、そんな形で批判できるのは若者の特典だと思う。
茶化しても許される程度のおバカな事件なのだ、てことが、よくわかってるからそんな事をするのだ。

それにしても、あの宗教を信仰したら、心が安らぐんだろうか?どう見ても、うその恐怖心を植えつけられてるようにしか見えないけど。

って、新興宗教ってたいていそんな感じだな、そういえば。
でもこっちはミカエル様だぞ(?)。


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