出産の秘密・その2 回復室のドラマ
2003年6月24日ようやく外が明るくなって、何となく不安感が薄れたのか、気分が良くなった。
昨夜の看護婦さんは交代で、新しい看護婦さんが「痛み止め、注射じゃ効かへんみたいやから、座薬にしてあげるね」と座薬を入れてくれた。
そしたら効き目が強くなったのか、とりあえず標本級の痛さはなくなった。
朝一で、もう一つのベッドに出産を控えた妊婦さんが来た。お母さん、ダンナさん、上のお子さん(1歳くらい)が一緒だ。
連れてきた看護婦さんが、「聞こえない人たちだから、よろしくね」と私に耳打ちする。
お子さん以外は聾唖者の人たちだった。
トドのように横たわるだけの私を見て、会釈してくださる。とっても感じのいい家族だった。
妊婦さん以外の家族の人は、部屋の外に出て行き、妊婦さんには朝ごはんが運ばれてきた。
私は昨日の朝から何も飲み食いしてないけれど、今日はカルピスが飲める。
でも何故?のどはカラカラなのに、全く飲む気がしないのよ(涙)。
お隣のプレママは、(食べますネ)という仕草をこちらにして、食べ始めた。
食事が終わったら着替え。自分の服をナイロンの袋に入れてベッドの下へ。
当たり前のことだけれど、彼女は自分の発する音も聞こえていないから、食べる音や一つ一つの行動をする時の音が大きい。相部屋だから静かに、っていう何となくの気遣いがない。
あ〜〜〜ごめんなさい、差別するんじゃないんです。ただ、「なるほど、そうなんだな」と初めてその時知ったので。
いい人だったから、余計にそう思ったのかも。
それに私もお腹痛かったから、敏感になっていたのかも。
彼女はすぐに分娩室に行った。行くときも、ちゃんと挨拶をして行ってくれた。きっと安産だな。さすが2人目の出産は、落ち着いてる。
お昼ごはん。カルピス。半分くらい飲めたかな?
午後からは、空きベッドに中絶手術の女の子が来た。
助産婦さんが手術の説明をしている間、落ち着いて聞いていた。そして出て行った。
手術から帰ってきた彼女は眠っているみたいだったけど、しばらくすると猛烈に暴れだした。痛みのせいなのか、精神的なショックのためなのか分からないけど、枕を叩きながら泣きわめいていた。
みていてかわいそうになってきた。だって誰も付き添っていないし。自分のナースコールを押して、看護婦さんを呼んだ。
「彼女だいじょうぶですか?」というと、看護婦さんは「仕方ないんですよ」と冷たかった。
どういう事情か知らないけど、とにかく静かにさせてくれ。こっちはまだお腹が痛い(苦笑)。
安定剤か何か打ってもらったのか、静かになった。私もヤレヤレだ。
1時間くらいして目覚めた彼女は、まず携帯でメールを打っていた。おいおい、いきなり平常心なのね(笑)。
「さっきは暴れちゃってすいませんでした」
落ち着いた彼女が話しかけてきた。
「これから出産なんですか?」
「いいえ、昨日産んだんです」
「そうですか〜、大変でしたね」
そうだった、昨日産んだんだった。まだ一度も赤ちゃんを見てないような気がする。
中絶の彼女も、しばらくして退院したみたい。私は眠っていて気づかなかった。
夕方、ダンナが来た。その時助産婦さんが赤ちゃんを連れてきた。
「びっくりしないでね」と言い、胸に抱いた赤ちゃんの顔をぱっとこちらに向けると、鼻からチューブが通っていた。
「実は、ミルクを全く飲んでくれなくて、栄養失調になりそうなんです。今のところこのチューブで栄養を入れて、様子を見てます。場合によっては新生児医療の専門病院へ移すかも」
まだ、抱かせてもらえなかった。
私が前日に比べてだいぶ元気なのを見て、だんなも少し安心したようだった。しばらくすると母も来て、新生児室の赤ちゃんを眺めていた。
隣のベッドには、今度は早産気味の妊婦さんが入った。3人目の出産で、2人の子どもとダンナさんが付き添ってきたが、すぐに帰っていった。早産ママは、お腹の張り止めの薬を点滴しながら横になっていた。地元の人らしく、私の母と「ここの先生は2代目で・・・」「そうなんですか〜」などと談笑していた。
それにしてもここは落ち着かない。私だって産後で気分が不安定なのに、全くゆっくりできないのはつらい。赤ちゃんのことも心配だ。ミルクはまだ飲まないのだろうか?
晩ご飯はまたもやカルピス。今度は全部飲み干したぜ。
早産ママは点滴も効果なく、夜になるに連れてお腹の張りは強くなっているみたいだ。点滴の速度を速めたり、薬を変えたりと、常に看護婦さん・助産婦さんがバタバタ出入りしている。
夜なのでカーテンを閉めてはいるが音は筒抜けで、どんな状況なのか手に取るようにわかる。
だんだん早産ママのうめき声が聞こえてきた。どう聞いても陣痛だよね、これってどうなるの〜〜〜?
とハラハラしていると、ついに先生が呼ばれた。内診している気配の後、「これは出産が始まるわ、すぐに分娩室に移して!ご主人呼んで!!私は小児救急病院をあたります!」
ひえ〜〜勘弁してよ〜という気分だった。こっちまで興奮して、眠るどころじゃない。お腹の赤ちゃんはまだ1300グラムくらいだそうだ。だけど生まれてしまうんだ。子ども2人の面倒を見ているダンナさんも、こんな夜中にこっちに駆けつけるのか。大変だよ〜〜〜。
廊下の向こうからは、先生が「●○産婦人科です、お世話になります・・・××先生お願いします・・・1300グラムの早産の新生児お願いしたいんですが。・・・そうですか、では」「もしもし、●○産婦人科ですが・・・」と病院に電話かけまくっている声が聞こえる。
しばらくすると「おぎゃー、おぎゃー」
う、生まれてる・・・。安産過ぎるのも怖いよね・・・。
続いて「ピーポーピーポー」と救急車の音がして、赤ちゃんは別の大きい病院へ移って行ったようだ。
そのすぐ後にダンナさんが駆けつけてきた。早産ママの様子を尋ねた後、赤ちゃんが運ばれた病院へと追っていった。
そうして、やっとやっと静けさが戻ってきた。
しかし気分が昂ぶって、どうにも寝付かれない。
私だって産後なのに、まだ手術の翌日なのに、なんでこんな扱いなんだ。もうちょっと誰か私のことを気遣ってくれてもいいじゃないか〜〜!!
と怒りがこみ上げてきて、怒りのあまり泣けてきた。でもまだ自分で動かせるのは両腕の(二の腕含む)と足の先くらいで、身体の中心部分は上向きのままだ。
首を横に向けて出てくる涙を拭きつつ、また朝を迎えてしまった。
朝一でまた別の新しい看護婦さんが来てカーテンを開け、私の顔を見て「かわいそうに〜目がボンボンに腫れてるわ。昨夜寝付かれへんかったんやろ〜」と言った。
はい、一睡も。
だけど今日からは重湯も食べられるし、身体も拭いてもらって、やっと人心地ついた。隣にも誰も来なかった。よかった。ホント良かった。午後には初めて赤ちゃんを抱いた。と言ってもベッドの横に寝かして腕枕しただけだけど。
その次の日にはやっと個室に移り、赤ちゃんに母乳を飲ませた。なんとミルクは全く飲まなかったが、母乳は一発で吸い付いてうまく飲んでくれた。今だにオッパイ大好きだもんね。
でもそのおかげで、小児病院送りは免れた。
***********************
多分ね。
2人目産むとしたら、また帝王切開になると思うんだけど、この病院では絶対産まないと決めてます。
手術後はどんな部屋で過ごすのか、初めから確かめて、静かに過ごせそうなところで産もうと思っとります。
ま、貴重な思い出ですけどね。
昨夜の看護婦さんは交代で、新しい看護婦さんが「痛み止め、注射じゃ効かへんみたいやから、座薬にしてあげるね」と座薬を入れてくれた。
そしたら効き目が強くなったのか、とりあえず標本級の痛さはなくなった。
朝一で、もう一つのベッドに出産を控えた妊婦さんが来た。お母さん、ダンナさん、上のお子さん(1歳くらい)が一緒だ。
連れてきた看護婦さんが、「聞こえない人たちだから、よろしくね」と私に耳打ちする。
お子さん以外は聾唖者の人たちだった。
トドのように横たわるだけの私を見て、会釈してくださる。とっても感じのいい家族だった。
妊婦さん以外の家族の人は、部屋の外に出て行き、妊婦さんには朝ごはんが運ばれてきた。
私は昨日の朝から何も飲み食いしてないけれど、今日はカルピスが飲める。
でも何故?のどはカラカラなのに、全く飲む気がしないのよ(涙)。
お隣のプレママは、(食べますネ)という仕草をこちらにして、食べ始めた。
食事が終わったら着替え。自分の服をナイロンの袋に入れてベッドの下へ。
当たり前のことだけれど、彼女は自分の発する音も聞こえていないから、食べる音や一つ一つの行動をする時の音が大きい。相部屋だから静かに、っていう何となくの気遣いがない。
あ〜〜〜ごめんなさい、差別するんじゃないんです。ただ、「なるほど、そうなんだな」と初めてその時知ったので。
いい人だったから、余計にそう思ったのかも。
それに私もお腹痛かったから、敏感になっていたのかも。
彼女はすぐに分娩室に行った。行くときも、ちゃんと挨拶をして行ってくれた。きっと安産だな。さすが2人目の出産は、落ち着いてる。
お昼ごはん。カルピス。半分くらい飲めたかな?
午後からは、空きベッドに中絶手術の女の子が来た。
助産婦さんが手術の説明をしている間、落ち着いて聞いていた。そして出て行った。
手術から帰ってきた彼女は眠っているみたいだったけど、しばらくすると猛烈に暴れだした。痛みのせいなのか、精神的なショックのためなのか分からないけど、枕を叩きながら泣きわめいていた。
みていてかわいそうになってきた。だって誰も付き添っていないし。自分のナースコールを押して、看護婦さんを呼んだ。
「彼女だいじょうぶですか?」というと、看護婦さんは「仕方ないんですよ」と冷たかった。
どういう事情か知らないけど、とにかく静かにさせてくれ。こっちはまだお腹が痛い(苦笑)。
安定剤か何か打ってもらったのか、静かになった。私もヤレヤレだ。
1時間くらいして目覚めた彼女は、まず携帯でメールを打っていた。おいおい、いきなり平常心なのね(笑)。
「さっきは暴れちゃってすいませんでした」
落ち着いた彼女が話しかけてきた。
「これから出産なんですか?」
「いいえ、昨日産んだんです」
「そうですか〜、大変でしたね」
そうだった、昨日産んだんだった。まだ一度も赤ちゃんを見てないような気がする。
中絶の彼女も、しばらくして退院したみたい。私は眠っていて気づかなかった。
夕方、ダンナが来た。その時助産婦さんが赤ちゃんを連れてきた。
「びっくりしないでね」と言い、胸に抱いた赤ちゃんの顔をぱっとこちらに向けると、鼻からチューブが通っていた。
「実は、ミルクを全く飲んでくれなくて、栄養失調になりそうなんです。今のところこのチューブで栄養を入れて、様子を見てます。場合によっては新生児医療の専門病院へ移すかも」
まだ、抱かせてもらえなかった。
私が前日に比べてだいぶ元気なのを見て、だんなも少し安心したようだった。しばらくすると母も来て、新生児室の赤ちゃんを眺めていた。
隣のベッドには、今度は早産気味の妊婦さんが入った。3人目の出産で、2人の子どもとダンナさんが付き添ってきたが、すぐに帰っていった。早産ママは、お腹の張り止めの薬を点滴しながら横になっていた。地元の人らしく、私の母と「ここの先生は2代目で・・・」「そうなんですか〜」などと談笑していた。
それにしてもここは落ち着かない。私だって産後で気分が不安定なのに、全くゆっくりできないのはつらい。赤ちゃんのことも心配だ。ミルクはまだ飲まないのだろうか?
晩ご飯はまたもやカルピス。今度は全部飲み干したぜ。
早産ママは点滴も効果なく、夜になるに連れてお腹の張りは強くなっているみたいだ。点滴の速度を速めたり、薬を変えたりと、常に看護婦さん・助産婦さんがバタバタ出入りしている。
夜なのでカーテンを閉めてはいるが音は筒抜けで、どんな状況なのか手に取るようにわかる。
だんだん早産ママのうめき声が聞こえてきた。どう聞いても陣痛だよね、これってどうなるの〜〜〜?
とハラハラしていると、ついに先生が呼ばれた。内診している気配の後、「これは出産が始まるわ、すぐに分娩室に移して!ご主人呼んで!!私は小児救急病院をあたります!」
ひえ〜〜勘弁してよ〜という気分だった。こっちまで興奮して、眠るどころじゃない。お腹の赤ちゃんはまだ1300グラムくらいだそうだ。だけど生まれてしまうんだ。子ども2人の面倒を見ているダンナさんも、こんな夜中にこっちに駆けつけるのか。大変だよ〜〜〜。
廊下の向こうからは、先生が「●○産婦人科です、お世話になります・・・××先生お願いします・・・1300グラムの早産の新生児お願いしたいんですが。・・・そうですか、では」「もしもし、●○産婦人科ですが・・・」と病院に電話かけまくっている声が聞こえる。
しばらくすると「おぎゃー、おぎゃー」
う、生まれてる・・・。安産過ぎるのも怖いよね・・・。
続いて「ピーポーピーポー」と救急車の音がして、赤ちゃんは別の大きい病院へ移って行ったようだ。
そのすぐ後にダンナさんが駆けつけてきた。早産ママの様子を尋ねた後、赤ちゃんが運ばれた病院へと追っていった。
そうして、やっとやっと静けさが戻ってきた。
しかし気分が昂ぶって、どうにも寝付かれない。
私だって産後なのに、まだ手術の翌日なのに、なんでこんな扱いなんだ。もうちょっと誰か私のことを気遣ってくれてもいいじゃないか〜〜!!
と怒りがこみ上げてきて、怒りのあまり泣けてきた。でもまだ自分で動かせるのは両腕の(二の腕含む)と足の先くらいで、身体の中心部分は上向きのままだ。
首を横に向けて出てくる涙を拭きつつ、また朝を迎えてしまった。
朝一でまた別の新しい看護婦さんが来てカーテンを開け、私の顔を見て「かわいそうに〜目がボンボンに腫れてるわ。昨夜寝付かれへんかったんやろ〜」と言った。
はい、一睡も。
だけど今日からは重湯も食べられるし、身体も拭いてもらって、やっと人心地ついた。隣にも誰も来なかった。よかった。ホント良かった。午後には初めて赤ちゃんを抱いた。と言ってもベッドの横に寝かして腕枕しただけだけど。
その次の日にはやっと個室に移り、赤ちゃんに母乳を飲ませた。なんとミルクは全く飲まなかったが、母乳は一発で吸い付いてうまく飲んでくれた。今だにオッパイ大好きだもんね。
でもそのおかげで、小児病院送りは免れた。
***********************
多分ね。
2人目産むとしたら、また帝王切開になると思うんだけど、この病院では絶対産まないと決めてます。
手術後はどんな部屋で過ごすのか、初めから確かめて、静かに過ごせそうなところで産もうと思っとります。
ま、貴重な思い出ですけどね。
コメント